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圓福 第99号

圓福 第99号

 今年の春は、早くから暖かく、東北でも観測史上初の早さで、桜が咲き、ここ岡崎も、家康行列には葉桜となってしまいました。皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうかお伺い申し上げます。日ごろは圓福寺護持のため何かとお心遣いを賜り厚くお礼申し上げます。参道入口、及び本堂前の駐車場の拡幅工事も大詰めを迎えています。
 年に一度の春の大切な特別法要、法然上人の御忌法要の案内です。去年に引き続き、今回も、法然上人の生涯から、私たちの生活の指針となるよう、学んでいきたいと思います。
 

○法然上人の生涯、前回の続き○
 

 法然上人が師と仰ぐ、善導大師のお言葉に、「衆生、佛を礼すれば、佛、これを見給う。衆生、佛をとなうれば、佛、これを聞き給う。衆生、佛を念ずれば、佛も衆生を念じ給う。」とあります。仏教では、身体、言葉、心の三つの行為や働きを整えて、清らかにすること(身業、口業、意業の三業清浄)が、最も大切なこととされています。
 例えば、真言密教の奥義は、即身成仏と言って、仏さまと同じように印を結んで、口に真言を唱えて、心を仏さまと同じ、広大無辺な美しい心すれば、この世で、この身このまま、仏に成れると説かれています。果たして、姿や言葉は同じように出来ても、私たち人間の心が、欲望のない、清らかな仏さまと同じ心になれるでしょうか。
 お念仏とは、合掌して、南無阿弥陀仏と仏さまのお名前を口にして、仏さまのことを思うことです。すると、仏さまの方からも同じよう私たちの姿を見て、聞いて、その思いを受け止めて下さっているということに気づかされます。それはまさに、三業が清浄の状態であり、最も尊い状態です。善導大師は、これを親縁(しんえん)と仰っています。つまり、仏さまと私たちが親子と同じ状態です。
 子どもの頃、知らない場所で突然迷子になったとしましょう。親は子どもの名前を叫んで呼びます。子供も親を必死に呼びます。お互いにその声に気づいて思わず駆け寄り、心配したよと抱き上げてもらいます。親はいつも子供の姿を追い、声を聞き、片時も思わずにはおられません。先立たれたご先祖さまも、動物も皆、同じ気持ちで、私たちをいつもいつもその姿を見守り、その声を聞いて、いつも思いを寄せて下さっています。
 法然上人は、称名念仏を通して、世界で初めて広く一般の人達にまで、仏教を身近なものにして下さいました。御忌法要は、法然上人、先立たれた方々に、心を込めて、感謝の祈りを捧げる大切な法要です。是非、ご近所お誘い合わせて、お参り下さいますようご案内申し上げます。                       

合掌

四月二十一日(土)(毎年四月第三土曜)
 

午前十一時

昼食接待

十一時三十分

郡上踊り披露(模擬店も出ます)

十二時三十分

住職、阿弥陀院説教

一時三十分

御忌施餓鬼法要(追善供養)

二時半より

法然上人御忌法要(法然上人の御遺徳を偲びます)

納骨塔総回向 (分骨を納骨いたします)