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圓福 第100号

圓福 第100号

謹啓 この度の西日本豪雨、並びに六月十八日大阪府北部地震で亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。 被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。
今回も法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びましょう。
 
     「問うて曰く。念仏の他の余善をば、往生の業にあらずとて、
       修すべからずと言う事あり。これはしかるべきや。
    答えて曰く。例えば人の道を行くに、主人一人につきて、
     多くの眷属の行くが如し。往生の業の中に念仏は、主人なり、
   余の善は眷属なり。しかりと言いて、余善を嫌うまではあるべからず。」
 
 問い:お念仏以外は、例え良い行いとしても、往生するためのものでは無いから、修めるものでは無いと言われますが如何でしょうか。
 法然上人答え:例えば、人が旅をする時、目的地にたどり着くまでには、その人を支えるために多くの人の力が必要となります。極楽に往生するためには、お念仏が中心ですが、他の良い行いは、それを支えるものです。だから、他の良い行いを避けたり嫌う必要はありません。
 仏教とは、仏道と言って、仏になること(成仏)を目指す道です。仏とは、煩悩がなくなった、清らかな、汚れの無い、悟った状態、つまり覚者です。成仏を目指すには、大きく二つの道があります。一つは自力、二つには他力です。浄土系以外は、自力です。例えば、禅宗は、覚りを得るために、座禅をしますが、座禅をするためには、静かな環境が必要で、山奥などにお寺を構えます。また、それ以外にも食事や衣など生活を支える物が無くてはなりません。従ってどうしても支えて下さる人が必要になります。それが檀信徒です。天台宗、真言宗、日蓮宗等も厳しい修行があり、檀信徒の協力の下、出家し、僧侶になって仏道を歩むことが出来ますが、出家すれば良いのですが、檀信徒は出家していないので基本的に仏道を歩むことは出来ません。けれども浄土系はいつでも他力のお念仏によって仏道を歩むことが出来ます。
 振り返れば、私たちも今まで、どれだけたくさんの命に支えてもらったことでしょう。両親を始め、祖父母やご先祖、動物や植物、この地球にも支えてもらって、今があります。生きるためには、もちろん自分が中心となって歩まなくてはなりません。他力に目覚め、自力も大切にする生き方が、本当の念仏の生活です。日頃他力を忘れがちな私達が、心を込めて感謝の祈りを捧げるお盆が参ります。
 左記の通り、お盆を迎えるためのお施餓鬼の法要を勤めます。毎年大変ご好評を頂く円福市をさらに大きく二日間開きます。平日が、お出ましにくいとの声を頂戴し、今回も、夏の盆施餓鬼は、海の日に行います。是非、ご家族お揃いで、また、ご近所、お友達もお誘いあわせてお参り下さい。

合掌

七月十六日(祝)
 

午前十一時半

昼食接待

午後十二時半

住職、阿弥陀院住職説教

一時半

盆施餓鬼法要