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HOME > 季刊「圓福」 > 第89号

圓福 第89

今年は、暖冬でした。おかげで境内の桜も、いつもより早く満開となりそうです。皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうかお伺い申し上げます。日ごろは圓福寺護持のため何かとお心遣いを賜り厚くお礼申し上げます。
 一年ぶりの、御忌法要の案内です。去年に引き続き、今回も、法然上人の生涯から、私たちの生活の指針となるよう、学んでいきたいと思います。

○法然上人の生涯○

 高野山に明遍という高僧がおりました。名声を捨て、ただひたすらに、生死のの苦海を抜け出すために、あらゆる修行を積まれていました。そんな中、法然上人の著した、選択集を読まれ、この本は、偏っているのではないかと思われましたが、その夜、夢の中で、病人に重湯を与える高僧の姿を見ました。傍らの人に聞くと、あれは法然上人だと答えました。目が覚めた明遍は、考えました。軽い病なら、もっと栄養のある食べ物でも良いが、重病人には、重湯でのどを潤すしかない、この世は、あまりにもひどい世の中、我々は、正に、重病人と同じではないか、学ぶことも修行も出来ない人々を救うことが出来るのは、念仏しかない。明遍は、直ちに全ての修行を捨てて、専修念仏の法門に入られ、名を空阿弥陀仏と名乗りました。ある時、法然上人に明遍は尋ねました。「念仏を唱えている時に心が散乱して妄念が起こるのをどのように防げば良いでしょうか」法然上人は「欲望が盛んで、心が散乱する世界に生まれ、煩悩だらけの凡夫にどうして心を散乱せず、迷いの心を無くせましょうか、そのような状態でも、口に念仏を唱えていれば、阿弥陀さまのお力によって必ず往生できるのです。心を静めたり妄念を起こさずに念仏を唱えたいと思うことは、自分の鼻や口を取り除いて念仏しようと思うことと同じです。」   
 それぞれの生まれや育ちが違うように、立場も環境も違いますが、私達は、ついつい罪を犯してしまう凡夫です。ましてや、多くの物があふれ、欲望が渦巻く、お金の社会で暮らしています。法然上人は、「雪のうちに、仏のみ名をとなうれば、積もれる罪ぞ、やがて消えぬる」と自分の今あるままであせらずに、お念仏を称えていれば、やがて、雪が溶けるように心の汚れも溶けて、感謝の心が湧いてくると法然上人はおっしゃっています。
 物で栄えて、心で滅ぶといわれる現代です。こんな時代だからこそ、少欲知足の精神が大切です。左記の通り、法然上人のご遺徳を偲び、御忌法要を勤めます。指定文化財の法然上人ご尊像を本堂正面に頂きます。是非、ご近所お誘い合わせて、ご先祖さまに、感謝のお念仏をお供えしましょう                        

合掌


●四月十六日(土) (毎年四月第三土曜)
午前十一時半より   昼食接待
十二時三十分 住職、布教講習生説教
一時三十分   御忌施餓鬼法要
二時半より   法然上人御忌法要、納骨塔総回向 (分骨を納骨いたします)

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