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圓福 第84

境内の桜も満開となり、風が吹くと花吹雪となって美しい春の訪れを祝うかのようです。皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうかお伺い申し上げます。日ごろは圓福寺護持のため何かとお心遣いを賜り厚くお礼申し上げます。
 一年ぶりの、御忌法要の案内です。去年に引き続き、今回も、法然上人の生涯から、私たちの生活の指針となるよう、学んでいきたいと思ういます。

○法然上人の生涯○

 比叡山に大変聡明な学僧がいました。ある時、弟子としてもかわいがっていた、我が子が、急死し、世の無常を嘆き、山を下り、当時、誉れ高い、法然上人の弟子になりました。しかし、元々、天台の学問をしっかりと学んでいたので、独自の説を打ち立てました。これが、幸西の一念義です。それは、阿弥陀さまの本願を信ずる一念の上に立って、一遍の念仏を唱えれば、もう称えることも必要無く、何をしても許され、必ず極楽往生するというものです。この教えによれば、どんな悪いことをしても許され、何の修行も必要がなくなります。法然上人は、このような説は、善導大師の教えに背く説だとして一念義を禁止し、幸西を破門しました。けれども越後(新潟)で、幸西の弟子達が、一念義を広めていたので、ついに一念義停止の起請文を法然上人は、示されました。
 法然上人が師と仰ぐ善導大師のお言葉には、念仏以外の法門では、修行により、自分の名誉や利益を求め、慢心により他人を軽んじ、優越感を抱いて自分の力によって物事をとらえると、戒めて下さっています。私たちも振り返ってみると、わずかばかりの人生を歩んできただけなのに、少しの知識によって、人を表面的に判断したり、物事を勝手に都合良くとらえていることに気づかされます。自分に甘い言葉は喜んで受け入れ、厳しい言葉は、時に恨み言になっています。幼い頃、厳しい言葉で叱ってくれた両親があればこそ、今日の自分があります。、先輩や上司からの辛い仕事も言葉も、同じです。
 自分の勝手な見解で人生を送るのでは無く、正しい真実を解いた佛教の経典によって心を広く開いてもらいたいと。法然上人はこの一念義停止の起請文でおっしゃっています。
一蓮托生です。いつかこの世での役目が終わって、極楽世界に行ったならば、大切な方達と同じ蓮華の中に生まれます。よく頑張ったねと喜んで迎えてもらえるよう、胸を張って帰れるように、お念仏を申して、感謝の日暮らしを送りましょう。
 左記の通り、法然上人のご遺徳を偲び、上人のご尊像を本堂正面に頂き、御忌法要を勤めます。是非、ご近所お誘い合わせてお参り下さい。

合掌


●四月十八日(土)(毎年四月第三土曜)
午前十一時半より   昼食接待
十二時三十分 住職、阿弥陀院住職、弟子説教
一時三十分   御忌施餓鬼法要
二時半より   法然上人御忌法要 ・ 納骨塔総回向 (分骨を納骨いたします)

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