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圓福 第65号

謹啓
 蒸し暑い毎日で、いよいよ夏本番を迎えます。原子力発電所問題で、節電を考えると、エアコンも我慢しなくてはならない様ですが、くれぐれも体調管理にご注意下さいますようお願い致します。

 さて、今回も前回に引き続き、法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びたいと思います。


平生の念仏、臨終の念仏とて、なんの変わりめかあらん。
平生の念仏の、死ぬれば臨終の念仏となり、
臨終の念仏の、のぶれば、平生の念仏となるなり。

「常日頃から称える念仏と、死ぬ間際に称える念仏と、何処にその境目があるでしょうか。 常日頃から念仏を称えて、突然死を迎えるときは、死ぬ間際に称える、臨終の念仏となりますし、いよいよもう死ぬしかないと念仏を称えていたところ、不思議に助かれば、常日頃からの念仏、即ち平生の念仏となるからです。」

 このお言葉は法然上人に、普段称えている念仏よりも、死ぬ間際に必死に称える念仏の方が勝れているのではないか、という問いにお答えになったものです。
 私たちは、ここ一番頑張り時に、「必死で」とか、「死んだつもりで」などと言うことがあります。背水の陣というのもこれに当たるでしょう。 確かに、これが最後と思うとき、とてつもない力を発揮することができるのも事実です。 けれどもそのためには、常日頃から続けることがあればこそ、できるのあって、いよいよ最後と言うときに今までしたことがないようなことを急にできるわけがありません。 ほとんど全てと言っていいほどの方々が、死ぬ間際に、後悔をされます。 それは、自分のしてきた過去を振り返るからです。
 人は多かれ少なかれ、必ず、親や兄弟、友人など誰かの世話になり、小さな過ちを繰り返し今があるのです。
 「あー悪いことをしたなぁ。申し訳なかった。ちゃんとお礼が言えなかった」
と、後悔の涙で死を迎えないためにも、どうか常日頃から感謝の心で過ごせますよう念仏を頂く毎日をお過ごし下さい。

 いよいよお盆を迎えます。左記の通り、盆施餓鬼法要を勤めます。 先立たれた方々に、生前に十分できなかった感謝の誠をお供えする準備を致しましょう。 今回は、平日となりますが、是非みなさまお誘い合わせ、お参り下さい。

合掌



2011年 7月19日(火)
午前11時半 昼食接待

午後12時半
住職説教
1時半 盆施餓鬼法要

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