圓福 第66号
謹啓
蜂の巣が今年は、足下の低い位置に、作られていました。台風が上陸したり雨が多い年は、自然界の生き物は、いち早く準備をしていました。
私たち人間も、常に自然災害には、注意をする必要があります。 備えあれば憂いなしと申しますが、安心した毎日を送りたいものです。
さて、今回も前回に引き続き、法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びたいと思います。
念仏申さん者、十人あらんに、たとい九人は、臨終あしくて往生せずとも、我一人は、決定して往生すべしと思うべし
「お念仏を称える人が十人いたとしましょう。その内、九人までもが、命が終わろうとする時に、心が乱れて、疑いの心が湧き、往生できないことがあってもこの私だけは間違いなく往生すると心を乱さず思うべきです。」
阿弥陀さまの願いは、全ての人が、幸せになること、即ち、極楽往生です。 それでは、なぜ、命が終わろうとするような一大事に、平然と心静かにお念仏ができるでしょうか。 心が乱れたり、もしかしてと思うのが、普通の人ではないでしょうか。
法然上人は、人生での一大事、臨終の時を想定して、いつもいつも、お念仏をなされました。
「人の命は、食事の時、むせて死することも有るなり。南無阿弥陀仏と噛みて、南無阿弥陀仏と飲み入るべきなり」とおっしゃったように、いつどこで、どんな時に死を迎えることになるか解りません。 常日頃からの心の持ち方が、とても大切だと言うことです。 周りの人に流されず、自分だけでも、正しい行いをすること、万が一に備えることがとても大切だと言うことを法然上人は、おっしゃっています。
今回の原発問題もしかりです。 想定外という言葉で片付けようとしていますが、十人中九人の人が、そこまで考えなくても良いじゃないかと言われたとしても、万が一のことを考えて、備えるべきでした。 自衛隊や消防に携わっている方々は、毎日、厳しい練習をされています。 だからこそ万が一に適確な行動ができます。 私たちも幸せで安心した生活を過ごしたいなら、日頃から万が一のことを考えて、心と体に備えるべきです。 それが、念仏の生活です。 施すことより求めることが多い私たちは、感謝の気持ちより、得られないことによる不満や怒りで過ごしがちです。 心静かに亡き方々のことを思い、手を合わせ、感謝の誠を捧げましょう。
下記の通り、秋の彼岸施餓鬼法要を勤めます。ご近所、お友達お誘い合わせ是非、お参り下さい。
合掌
記
2011年 9月19日(祝)
午前11時半 昼食接待
午後12時半
住職説教
1時半 彼岸施餓鬼法要