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圓福 第119号

圓福 第119号

境内の名木、大楠の木も春を迎えると、一年に一回、新しい若葉が、今までの葉と交代します。桜吹雪と共に落ち葉が大量に降り、毎日、掃除が大変な時期になりました。長く続くコロナ禍も第六波となり、インフルエンザと同じように、コロナウィルスと共に日常生活を送る事となりそうです。ウクライナの問題も世界的な不安となり、資源の無い日本にとっては、益々生活が厳しくなります。皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。 さて、今回も、法然上人の生涯から、私たちの生活の指針となるよう、学んでいきたいと思います。
             ○法然上人の生涯から○
 法然上人を訪ねた明遍(みようへん)は、「今の世でどのように修行すれば、生死の世界から解脱出来ましょうか」と尋ねました。上人は、「南無阿弥陀仏と称えて極楽往生をとげるしか有りません」と答えられると「誰でもそう考えていますが、念仏を称えていても心が散乱し、妄念も起こるのをどうしたら良いのでしょうか」と続けて尋ねると「欲望が渦巻くこの世に生を受けて、どうして心が散乱せずにいられましょうか。欲望だらけの煩悩具足の私たちがどうして余計なことを考えるのやめることが出来ましょうか。このようなことは、私にも力が及びません。心が散り乱れていても、妄念が湧き起こってあれこれと色々な思いが頭をよぎっても、口に念仏を称えていれば、阿弥陀さまの大きなお力によって、必ず極楽往生出来ます」と上人はお答えになりました。「このお言葉を賜りたくて、参りました」と、初対面にもかかわらず、ちゃんとした挨拶もなしに意気揚々と帰って行かれたので、人々は、なんと自分の気持ちに真っ直ぐで素直な人だと、返って明遍を尊びました。
 人は、何か物事を行う時には、色々と準備をして取りかかるものです。例えば、運動不足だと思って、ジョギングを始めようとすると、スポーツ用品店で、ジョギングシューズを買い、それに合わせてウェアを買い、吸水性の良いタオルも水分補給のボトルに万歩計もとさらに、雨の日も走れる様にカッパも、あげくは寒くても続けられる様にルームランナーまでとなってしまい、気づけば、三日坊主となります。本当に始めようとするなら、先ずは、普段着でも履き慣れた靴でも歩くことから始めることです。そのうちに楽しくなれば、自然と靴も履きやすい靴に、走れる様になれば、それに合わせてぼちぼちと揃えていけば良いでしょう。お念仏は、いつでもどこでもどんな時でも称えることが出来ます。善導大師は「行住坐臥不問時節」起きている時も座っている時も寝ている時も時間も関係ないとと仰っています。つまり、念仏の生活とは、感謝の心をいつも忘れないでいることに他なりません。イライラしたり、思う様にならない時も常に仏さまと共に生活すると言うことです。仏さまとは、尊い存在、先だたれた尊い命、この私を生かして下さる命です。煩悩だらけのこの私を支えて下さる真心に、気づくことです。御忌法要は、法然上人、先立たれた方々に、心を込めて、感謝の祈りを捧げる、年に一度の大切な特別法要です。是非、ご近所お誘い合わせて、お参り下さいますようご案内申し上げます

合掌

四月十六日(土)(毎年四月第三土曜)


午前十一時半

昼食接待

午後十二時半

住職、阿弥陀院説教

午後一時半

御忌施餓鬼法要(追善供養)

午後二時半より

法然上人御忌法要(法然上人御遺徳を偲び特別法要)

永代納骨塔総回向 (分骨の永代納骨も致します)