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圓福 第120号

圓福 第120号

謹啓 あっという間に梅雨も終わり、毎日厳しい暑さが続いています。統計開始以来、最も早い梅雨明けでした。東海地方の梅雨は十三日間で、過去の最も短い二十日間を更新しました。毎年毎年、記録的なとか、観測史上とか気候の変動の激しい報道を目にします。一日でも早い、平和な世界と穏やかな環境を願わずにはいられません。
今回も法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びましょう。

「念仏の助業(じょごう)ならずして今生(こんじょう)の為に身を貪求(とんぐ)するは、三悪道の業となる。往生極楽の為に自身を貪求するは往生の助業となるなり」
 
 「お念仏の励みや助けにならない、自分だけが豊かに暮らしたいと自身の欲望を満たすだけの生活は、地獄、餓鬼、畜生の悪道に落ちる行いです。けれども、往生極楽の為に、自分自身を高める良いことを求めるなら、それは、往生の助けとなります。」
 法然上人の教えを正当に継承した宗祖西山上人が「南無阿弥陀、仏の御名と思いしに、称うる人の姿なりけり」と詠まれた歌があります。西山上人は、人々の幸せを願いお念仏をされていましたが、気づけば、逆に自身が既に幸せであるようにと願われていた仏さまの姿に気づかれた、感激のお歌です。法然上人の示されたお念仏は、阿弥陀さまのお名前を称える称名念仏です。仏道の目標は、仏と成る事ですが、阿弥陀さまは、自身が成仏することよりも、皆が救われないなら成仏しないと誓われ、成仏された仏さまです。つまり、自分の幸せよりも身近な家族の幸せを一番に願う、まるで、両親や祖父母の姿です。幼い子どもやペットたちも常に私たちを心配し、思いを寄せてくれています。まさに祈る前から祈られていた、念じる前から念じてもらっていた、拝む前から拝まれていた、私たちは誰一人漏れること無く大きな祈りの中に生かされているのです。永遠の幸せ、即ちそれを往生極楽と言いますが、それを求めるならば、自分のことよりも人の幸せを思える生き方が大切だと法然上人はこのお言葉でお示し下さっています。
 参議院選挙が始まりました。日本国憲法には、参議院の役割は、衆議院に対する抑制・均衡・補完の機能を通じて、国会の審議を慎重にし、これによって衆議院と共に、国民代表機関たる国会の機能を万全たらしめることにあると有ります。しかしながら、衆議院に優位性があり、全て決定権は衆議院です。つまり、参議院は、衆議院のお目付役であり、ご意見番で、相談役です。豊富な経験と広い見識の高さが必要です。実現しない耳ごごちの良い甘い言葉や政策を並べるより、国民の血税を無駄遣いしないように、厳しく目を光らせ自身も清く正しく、自分の事より国民の為に働く方になって頂きたいものです。
 下記の通り、私たちの幸せを願って下さった尊い命に感謝の祈りを捧げるための盆施餓鬼の法要を勤めます。今回、二日間土日に、昨年より拡大して円福市を行います。是非ご家族、ご近所、お友達もお誘いあわせてお参り下さい。

合掌

七月十七日(日) 


午前十一時半

昼食接待

午後十二時半

住職、阿弥陀院住職説教

午後一時半

盆施餓鬼法要