圓福 第94号
朝晩は、まだ少し冷えますが、昼間は暖かな春の日差しで、ようやく桜の花も開き始めました。皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうかお伺い申し上げます。日ごろは圓福寺護持のため何かとお心遣いを賜り厚くお礼申し上げます。
年に一回の大切な特別法要、法然上人の御忌法要の案内です。去年に引き続き、今回も、法然上人の生涯から、私たちの生活の指針となるよう、学んでいきたいと思います。
○法然上人の生涯、前回の続き○
高野山の明遍は、法然上人の弟子になり、法然上人の無くなった後も上人の遺骨を生涯首に懸けて敬い、三十年間、他人のためには、顕教や密教をといて、自らの行としては、ただ念仏を唱える以外の修行はしませんでした。しかし、明遍は、数珠だけ手早く繰って、念仏の数を多くする者に対して、誠意がなさ過ぎると許せない気持ちでいました。ある時、一人の修行者が訪ねて来ました。「日々の念仏の数は、如何ほど唱えれば良いでしょうか」「あなたは、如何ほど唱えていますか」「毎日百万遍の念仏を唱えています」。明遍は、この修行者も早繰りの不実者と返事もせずに奥に引っ込んでしまいました。ところがその夜の夢で、高貴な僧侶が現れて「毎日百万遍の念仏を唱えている行者に対して、妨げとなるようなことをした事は、けしからん。我は善導なり」と告げられました。明遍は驚いて目を覚まし全身から冷や汗が流れました。その後は、明遍も百万遍の念仏を唱える行者となりました。(善導大師は法然上人の師です)
よく、お焼香の回数を尋ねられることがあります。大勢の人がいる時や、締め切ったお部屋などでは、心を込めて一回で良いでしょう。数にとらわれて、雑にあわてて三回したり、一度に大量につまんでするのも良くありません。つまり、量より質が大切です。だからといって、数を軽んじることは良くありません。
良い行いは、たくさん出来れば素晴らしいことですが、当たり前になったり、惰性になるのは良くありません。明遍は、いつも百万遍のお念仏を唱える時は、新しい気持ちで唱えたと伝えられています。それは、感謝の心を忘れることが無かったからに他なりません。
私達は、日々の雑事に追われ、新鮮な気持ちを忘れ、ついつい当たり前に毎日を過ごしています。毎年の事と思わず今年こそと、新たな気持ちで心を込めて、ご先祖さまに感謝の祈りを捧げましょう。左記の通り、法然上人のご遺徳を偲び、指定文化財のご尊像を本堂正面に頂いて御忌法要を勤めます。是非、ご近所お誘い合わせて、お参り下さいますようご案内申し上げます。
合掌
記
●四月十五日(土) (毎年四月第三土曜) |
午前十一時半 昼食接待
十二時半 住職、阿弥陀院説教
一時半 御忌施餓鬼法要
二時半より 法然上人御忌法要 納骨塔総回向 (分骨を納骨いたします)
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