HOME | 季刊「圓福」 | 第129号

圓福 第129号

圓福 第129号

四月に入り、境内の枝垂れ桜や枝垂れ桃が美しく咲いています。今週末が見頃となりそうです。 
 黄砂や花粉など、春の風に乗って大量に飛来していますが、皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。 
 さて、いよいよ今年は、法然上人が浄土宗をお開きになり八百五十年になります。
 京都、総本山誓願寺では、四月二十一日から二十五日までの五日間、特別慶讃大法要が厳修されます。私も管長代理として、二十一日は新京極を練り歩きます。翌、二十二日はお説教を致します。遠方ですが是非ご参詣下さいますようお願い申し上げます。
         

○法然上人の立教開宗について○

 法然上人が、比叡山延暦寺に入門された当時は平安末期でした。壇ノ浦の戦いで源氏が平氏を滅ぼすまで両氏の争いが激しく、庶民にとって大変厳しい時代でした。ところが、日本の最高学府である延暦寺では、庶民救済どころか、自分の立身出世をための権力争いが絶えませんでした。法然上人は、地位も名誉も得られたのに、人々の救済される教えを求め比叡山を下ります。救いを求め、京や奈良の名だたる名僧を訪ねますが、どの教えも、限られた僧侶や貴族や皇族のためのもので、一般庶民の救済を目的としたものではありませんでした。
再び、経蔵にこもり、伝来した全ての経典を深く読むこと五回、ついに、善導大師の観無量寿経の注釈書の一文に光を見いだします。
観無量寿経の結論には、「なんじこの語をたもて、この語をたもてとは、即ち、無量寿仏のみ名をたもてとなり」とあります。つまり、阿弥陀さまのお名前を持ちなさいとあります。念仏は、阿弥陀さまのお姿や極楽世界の様子を心に描いて、一心に唱える、厳しい修行の一つでした。今のように誰もが簡単に口にして唱えるものでは無かったのです。
ところが、善導大師は、この観無量寿経の結論の注釈に、「阿弥陀さま、お釈迦様のお心に深く寄り添うならば、私達にただ一向に南無阿弥陀仏と称えさせることにその本意がある」と説明されている。これなら、難しい瞑想や厳しい修行が出来無くても、誰でもいつでもどこでも唱えることが出来る、全ての人々が救われる唯一つの方法だと、上人は覚られました。この日が、今からちょうど八百五十年前の春でした。法然上人は、世界で初めて、誰もが南無阿弥陀仏と称えて救われる、浄土宗をお開きになりました。
 今年の御忌法要は、法然上人の立教開宗の八百五十年の大切な正当年です。
是非、ご近所お誘い合わせて、お参り下さいますようご案内申し上げます。

合掌

四月二十日(土)(毎年四月第三土曜日)


午前十時

住職説教

午前十時三十分

御忌施餓鬼法要(追善供養)

午前十一時三十分

法然上人御忌法要(法然上人御遺徳を偲ぶ特別法要)

永代納骨塔総回向(分骨の永代納骨も致します)

午後十二時三十分

昼食接待

翌日から京都本山で特別法要が厳修されますので、住職方も出仕する為今回は午前中です