圓福 第108号
圓福 第108号
謹啓 今年は暖冬のため、境内の枝垂梅は見頃を過ぎてわずかに花を残す程度となりました。 中国で発生した新型コロナウィルスが、世界中で猛威を振るい、未だ収束の兆しの見えないまま不安な毎日です。マスクばかりでなく、トイレットペーパーまで入手困難となり、まるでオイルショックのようなパニック状態です。人々が集まる所は危険だと、様々なイベントや集会、卒業式まで中止となりました。円福寺もお彼岸の法要を中止した方が良いのか大変悩みましたが、十五日を過ぎることでもあり、この度、通年通り厳修することと致しました。ご案内が大変遅れましたことをお詫び申し上げます。どうぞ、お身体に、ご無理のない様にお参り下さいますようお願い申し上げます。
さて、今回も法然上人のお言葉から、私達の日常生活が、明るく楽しく暮らせるように、心の持ち方、あり方を学びたいと思います。
本(ほん)願(がん)にあう遅(ち)速(そく)同じからざれば、上(かみ)一(いち)形(ぎよう)を尽くし、下(しも)一(いち)念(ねん)に至ると発(おこ)し給(たま)えるなり。
「人はそれぞれご縁によって、阿弥陀さまの教えに出会う時期が違います。長くは一生涯の念仏の生活から、短くは、臨終における最後の一声の念仏に至るまで阿弥陀さまの本願は、全ての人々を救いたいと立てられた願いなのです。」
これは、法然上人のお弟子の禅勝房が、阿弥陀さまは、わずか一遍の念仏でも往生を叶えると本願に誓われたことについて尋ねられた時に答えられたお言葉です。この一文をとって、一生涯に一度お念仏を申せば、それで往生はかなったという考えに釘を刺されたお言葉です。往生とは、迷いの無い境地に至ることで、二度と迷わないことです。人生とは、常に選択をせまられることの連続です。学校でも仕事でも、生活においても、食事一つとっても迷うことの多いのが、私たちの日常です。結果、ああすれば良かった、あっちの方が良かったと後悔することばかりです。けれども、後悔や失敗が無い人生などあり得ません。それらを糧として、よりよい人生を歩むことが肝要なのです。だからこそ日頃からどんな境遇にあっても、感謝の心を保てるように、日頃から念仏の生活を致しましょう。
今年も春のお彼岸法要を迎えます。先立たれたご先祖さまや子たちにお陰様と、心から感謝の祈りを捧げましょう。お念仏は、謙虚な心を育てて、後悔の無い、笑顔いっぱいの毎日をつくります。是非、ご家族皆様、おそろいでゆっくりと、お参り下さいますようご案内申し上げます
三月十九日(木)
午前十一時三十分 | 昼食接待 |
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午後十二時三十分 | 説教(住職、阿弥陀院) |
午後一時三十分 | 彼岸施餓鬼法要 |