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圓福 第106号

圓福 第106号

謹啓 今年も台風が次々と発生し、各地に被害をもたらせました。暑さ寒さも彼岸までと申しますが、まだまだ、気候が不安定で、これからも、荒々しい天候が多くなりそうです。皆様におかれましてはお変わりなく、お過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。
 さて、今回も前回に引き続き、法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びたいと思います。
 
ただ善導和尚の意によりて浄土宗を立つ。全く源空が今、案にあらず。
 
「ただ、善導大師の御心によって、浄土宗を開いたのです。私(源空)法然が今、独り突然、自分勝手に考えて開いたものでは、全くもってありません。」
 このお言葉は、人から、浄土宗を開いたのは、いったい、どの教えによって、また、どのお祖師方の御心によってかと尋ねられたなら、このように答えますとおっしゃったお言葉です。上人は、「真言宗、天台宗、華厳宗、三論宗でも無く、阿弥陀さまの化身である善導大師の教えによったのであり、大師の教えを仰ぐべきであり、信じるべきです。」と続けて説かれました。
 仏教は、仏道であり、成仏することが目標です。即ち、煩悩の無い完成された状態を目指す覚りへの修行です。けれども、修行するためには、その修行を支えて下さる方々がどうしても必要となります。ここに大きな矛盾があります。法然上人は、自分一人が救われるのなら、ただただ修行を重ねれば良いのですが、それでは庶民は、日々の生活に追われ、苦しみから抜け出せず、僧侶のみが、救いの道を歩めることとなります。選ばれた貴族や優秀な僧侶達の為に仏教があるわけでは無いと、万人が救われる道を必死で追い求め、ついに善導大師の教えにたどり着かれ、称名念仏を中心とした浄土宗を開かれました。今日、私たちが身近に仏教を学び、実践が出来るようになったのは、法然上人のおかげです。浄土の教え以外はどれも厳しく、現在も僧侶になる以外、その道を正しく歩むことは出来ません。例え出家して僧侶の道を歩んだとしても、お釈迦様の様に覚りを得てこの身このまま、この世で仏になることは、到底出来ません。地球という限られた世界の中、全ての生命は、植物も動物も微生物も分け隔て無く生かされています。人間だけがこの世界を支配し、その頂点に君臨するものではありません。ましてやそれぞれの国家が自国の利益を求めたり、個人の欲望を満たすために争う事は愚かなことです。平和とは、生かされて生きる喜びに気付く念仏の生活です。
 左記の通り、秋のお彼岸法要を勤めます。ご家族、お友達、お誘い合わせ是非、お参り下さいますようご案内申し上げます。

合掌

九月十九日(木) 


午前十一時

昼食接待

正午

玉澤昌子ミニピアノコンサート

午後十二時半

住職、阿弥陀院説教

一時半

彼岸施餓鬼法要