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圓福 第111号

圓福 第111号

謹啓 毎日厳しい暑さが続いています。新型コロナウィルスも未だ終息の兆しも見えません。日々の暮らしが、少しでも明るく、未来に希望の持てる様に今こそ、絶好の機会と捉えて、皆で協力し、進んで参りたいと存じます。
 さて、今回も前回に引き続き、法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びたいと思います。
 

問うて曰く。心の澄む時の念仏と妄心の中の念仏と、その勝劣いかん。
答えて曰く。その功徳等しくして、あえて差別無し。

 
ある人の「心が澄み渡っている時に称える念仏と、心が妄念で、濁っている時に称える念仏では、どちらが勝れているのでしょうか。」の問いに、法然上人は「どちらのお念仏も往生が叶うという功徳は等しく、あえて差別はありません」と答えられました。
 人は、生きていく上に置いて、必ず苦しみに出会います。子供の時は、考えもしなかった、様々な悩みや、悲しみ、また、怒りなど、生きていく為に、乗り越えていかなくてはならない辛い事も次々とやってきます。例え、家に恵まれ、友人や仕事にも、何不自由なく、将来的にも全く心配が無いような人でも、老いや病は、必ず訪れ、死を迎えます。どんなに親しい友人も家族も、いつかは死が別れの時を告げ、孤独を感じる時が来ます。穏やかに、静かに平々凡々と、幸せをかみしめて毎日が楽しく明るく、過ぎて行ければ、どんなに良いことでしょう。 時間もお金も余裕があり、美しい自然の中で、ゆっくりと深呼吸して、手を合わせ、心も穏やかに澄み切った心持ちでお念仏が出来れば、最高でしょう。
けれども日々の生活に追われ、悶々と、イライラしてストレスばかりが溜まって、休みもお金もない、そのような人々の方が圧倒的に多いのが、現状です。心の中に悪い物を溜めるといつか溢れて心も体も壊してしまいます。
 法然上人は、だからこそお念仏をお勧め下さったのです。心にわずかでも、安らぎや平安が訪れば、人はまた、元気を取り戻し、前を向いて歩むことが出来ます。疲れた時、辛い時、悲しい時や寂しい時、側にこの私を心配し、思いを寄せてくれる優しい家族や友人が居ることにまた、居たことに気付くことが大切です。その時、自然と思わず感謝の心が湧き上がりお念仏が出来れば最高でしょう。
 下記の通り、秋のお彼岸法要を勤めます。新型コロナウィルスも心配ですが、ご無理のない様にお参り下さい。お彼岸法要が快適に過ごせるように大型のエアコンを四台、本堂に設置致します。検温、マスクを忘れずに、ご家族、お友達、お誘い合わせ是非、お参り下さいますようご案内申し上げます。

合掌

九月十九日(土)


午前十一時半

昼食接待

午後十二時半

住職、阿弥陀院住職説教

午後一時半

彼岸施餓鬼法要